学校ブログ

卒業生インタビュー⑬(校長ブログ265)

夏休みに卒業生の久芳さん(13期生)が学校に遊びに来てくれました。仕事をしながら様々な経験を積んでいる様子に大変感銘を受けたので、以下にご紹介したいと思います。

 

~~開智生のころ~~

第一志望は都内の学校だったのですが、合格できず、消去法的に開智に入学しました。入学前は、開智のイメージは正直薄かったです。それでも1年生のころは、中学受験の延長でそれなりに勉強していましたが、2年生以降は、ずるずると勉強しなくなってしまいました。成績は下の方でした。軟式野球部で活動していましたが、そちらでもあまりパッとしませんでした。転機になったのは、5年生の1学期のイギリスフィールドワークです。海外に行くのはもちろん、飛行機に乗ること自体、初めての経験だったので、すべてがショックでした。ロンドンのヒースロー空港に降り立つ直前に機内から見えたロンドンの街並み、家々の屋根の色が、日本とは違っていることに衝撃を受けました。その時点での自分の英語力では、ブルネル大学の学生とはたいしてコミュニケーションはできなかったのですが、それでも伝わったと思った時のうれしさは今でも覚えています。イギリスから帰った後は、「がんばろう」という気持ちに火が付き、夏期講習で先生が英語をガンガン鍛えてくれたこともあって、数年間の眠りから覚めた感じになりました。国立をめざすのは難しいかと思い、親にも了解してもらって、第一志望を早稲田大学の法学部にしました。模試はE判定の連続でしたが、根拠のない自信と、担任の三原先生の厳しくも暖かい励ましのお言葉もあって、最後まで頑張れました。最後の1年間の頑張りは、誰にも負けないと思っています。悪い姿勢で長時間勉強した結果、むちうち状態になり、入試直前で首が動かなくなってコルセットを巻いた状態で受験することになってしまいましたが。でも、無事、第一志望に合格することができました。三原先生に合格を報告した瞬間のことは、今でも鮮明に記憶しています。

 

~~大学生のころ~~

塾講師を中心に、様々なアルバイトに明け暮れました。アルバイトで得た収入で、休みごとに海外に旅行に行きました。中高の時の反省もあって、勉強の習慣は継続していました。3年の時にインターンに参加しようと思ったのですが、選考に落ちてしまったので、時間に余裕が生まれ、学内の懸賞論文に応募することにしました。民法、特に家族法に関するゼミに所属していたこともあり、その分野の論文を書きました。海外の先行研究や英語で書かれた判例をたくさん読んで、参考にしましたが、大学受験の時に開智の夏期講習や放課後特別講座で英語を徹底的にやっていたことがここで生きました。今思えば内容は大分浅く、形だけの内容でしたが、ありがたいことに表彰され、それ以上に、いろんな成果が得られたと自分では思っています。法学部なので法曹を目指す人も多いですが、司法試験に向けて勉強する彼ら/彼女らの優秀さから、「これは叶わないな」と感じ、民間企業に就職することにしました。海商法の授業の中で海運業界のことに触れる機会があり、開智のイギリスフィールドワーク以来、海外に興味があったこと、英語の文献に触れる機会があったことなどから、グローバルな仕事ができる海運業界を目指すことに決め、活動した結果、第一志望の海運会社に就職することができました。

 

~~社会人になって~~

 

1.配属

入社後は営業部門の中にある法務系の部署に配属となりました。営業部門のサポートとして、傭船契約(船を借りる・貸すための契約)の交渉、トラブル時の契約相談を担当いたしました。その部署にはプロフェッショナルな先輩方が多く、実務と法律知識の双方に精通した環境で、ひたすら勉強させていただきました。

 

2.異動と大学院入学

その後、穀物を扱う船の営業部門に異動になりましたが、元々興味のあった海事法(海の法律)に関する書籍を自身で買って読み進めるなど勉強を続けていました。ただ、独学だけではどうしても限界があると感じ始めていました。そこで頭に浮かんだのが大学院への進学です。早稲田大学にいた頃から、社会人向けの大学院コースが存在することは知っていました。所謂ロースクールとは別に、専門性を磨くための大学院(法学研究科)があり、そこに社会人コースが設置されていました。平日の夜間や土曜日に開講されており、その中の1つに海事法のコースがあることを把握していました。「今行くか、10年後に行くか」と考えた際、絶対に若いうちに行った方が体力的にも乗り切れると判断し、上司にも伝えた上で、働きながら大学院に通うことにしました。通学期間は2年間で、仕事を続けながらの通学でした。最初の1年間は履修授業が多く、非常にハードでした。平日は18時過ぎから22時前まで授業を受け、土曜日も13時から17時頃まで大学に通う生活を続けました。とにかく多忙で、授業数の多さに加えてプライベートでのイベントも重なり、パンクしそうな状態でした。2年目は主に修士論文の執筆が中心となりました。修士論文提出前に子供も生まれ、「育児をしながら論文を書くのは不可能だ」と悟り、それまでに修士論文をできるだけ完成に近づけるように努めました。

 

そもそも「なぜそこまでして勉強しようと思ったのか」というと、営業部署で日々の業務を行う中で、目標や枠組みがないと体系的な勉強を継続するのは難しいと感じたからです。書籍を購入することはできても、大学院生という立場がなければアクセスできない過去の論文や膨大な資料・文献が存在します。また、自分の性格上、単発の資格試験に合格することを目指すよりも、時間をかけて興味のある分野を掘り下げて研究したりする方が向いていると感じていました。学部時代に海事法を学び、最初の部署で実務法務に触れ、営業現場で実務に関連した疑問を抱きつつ、独学の限界を感じていたので、「多少無理をしてでも本格的に学び直す経験は価値がある」と確信しました。

 

自分の知的好奇心と、受験勉強をやり抜いた開智での経験や成功体験があったからこそ、「自分ならやり切れる」という感覚を持てていたのだと思います。あの受験経験がなければ大学院の存在自体も意識していなかったと思うので、全てが良い縁でつながっていたと感じます。

 

3.現在

大学院で学んだことが現在の仕事にどう生きているかというと、提出した修士論文のテーマ自体が今の実務に直接影響を与えているわけではありません。私の修士論文のテーマは「難破物除去に関する債権の責任制限該当性」というものでした。例えば大型船による事故が発生した場合、大変な損害が生じることになりますが、その全てを船舶所有者(船主)が負担するとなると、リスクが大変大きくなります。そのため、国際条約でも損害額には一定のリミット(責任制限)が設けられており、日本でも船主責任制限法という法律が規定されております。ただ、何でもかんでも責任制限が認められるわけではなく、その中で「難破物除去に関する債権」に責任制限が認められるか否かの解釈に疑問を感じ、日本や海外の判例、立法などから考察を加える内容でした。本来、船が沈没するような大事故は起きてはならないため、この論文内容が会社で直接役立つような事態は来ない方に越したことはありません。しかし、契約書を読み込む際やトラブルが発生した際に「どういう法的ロジックを組み立てるか」「どういう解釈や反論が可能か」を考える視野や思考のレンジ(幅)は間違いなく広まりました。また、海事法という広い分野の中で、それまで触れてこなかった分野の授業も履修できたことで、知見が大きく広がりました。

 

~~開智で学んだことが社会人となって生きていること~~

1つ目は、1つの物事に集中して取り組める環境を生かすということです。開智の前半の中学〜高1時代はその環境を100%生かしきれていませんでしたが、後半で巻き返して努力できた経験があったからこそ、「大人になってから大学院で学び直そう」という発想にもつながったのだと思います。2つ目は、中高時代にあった「探究学習」のプロセスです。当時は「面倒な課題だな」と思いながら取り組んでいましたが、大人になった今振り返ると、非常に理にかなった教育だったと感じます。「仮説を立て、検証し、考察・研究する」という思考のプロセスは、社会に出てから非常に重要になるのだと後になって気づきました。当時はその大切さに気づいておらず「もっと真面目にやっていれば良かった」と思うこともありますが、その時頭の片隅に刷り込まれていた「疑問→仮説→検証」のフレームワークは、大学院での法学修士論文の執筆(先行研究の分析から新しい視点でアプローチを試みる作業)にそのまま生きました。

 

~~今後について~~

自分自身は海運というスケールの大きな仕事に魅力を感じており、今の会社で長くキャリアを築いていきたいと考えています。また、機会があれば海外勤務にも挑戦したいという思いがあります。海運業界は、自分が経験した仕事以外にも、まだ自分の知らない領域や新しいビジネスが次々と生まれています。どの部署に配属されても大変さと同時に面白さがあると感じているので、与えられた場所で多様な経験を積みながら、貪欲にキャリアを広げていきたいと考えています。

 

~~開智生に一言~~

この学校には「本気で頑張ろうと思った時に、それを全力で支えてくれる環境」が整っています。中高生の段階で自分の好きなことややりたいことを見つけるのは難しいかもしれませんが、受験勉強という避けては通れない道と向き合いながら、興味のある分野を深く掘り下げられる環境があります。ぜひその恵まれた環境をフルに活用して、充実した学生生活を送ってほしいと思います。

校長室にて
英国フィールドワークの様子①
英国フィールドワークの様子②

~~インタビューを終えて~~

6年生の時の担任の三原先生は、「彼はとにかく『なにくそ根性』の持ち主でした。不器用さがある分、それを全て根性と努力で補い、愚直なまでにやり続ける人間でした。私は今でも高3(6年生)の進路指導の際、彼が首に巻いていた『コルセットの話』を鉄板のエピソードとして毎回生徒たちに話しています。『みんな頑張る、頑張る、と言うけれど、本当に頑張るというのは、首にコルセットを巻いてでも試験会場に行くことだ。君たちはここまで本気で頑張れますか?』という問いかけを毎年しています。『担任の私に対して、彼は第一志望を早稲田の法学部と言い続けていた。しかし、模試の結果が返ってくるたびに毎回E判定。周囲からは絶対に受からないと言われていたという話を生徒たちに伝えています。客観的に見れば『合格は厳しい』という数字しか出ておらず、それが誇張抜きの現実でした。それでも彼は『僕は絶対に受かります』と言い続けました。最終的に合否を分けるのは、誰に何を言われたかではなく『絶対に合格するんだ』という強い気持ちがあるかどうか、まさにそれなのだという話を生徒たちに伝えています。」と話してくれました。その経験が、社会人になった今でも生かされていることに、感銘を受けました。開智での経験が将来に生きるというパターンはいろいろありますが、こういうパターンもあるのか、と新鮮な驚きを感じました。「目標を決めて努力することで、新しい可能性を自ら切り拓く」、これも開智で身につけられることを改めて感じたインタビューでした。