学校ブログ

卒業生インタビュー⑩(校長ブログ170)

2月4日に、12期(2014年卒業)卒業生で二胡奏者の木原嘉音さんが、コンサートを開催しました。あいにく中学入試の日と重なり、参加できませんでしたが、日を改めてご本人と会うことができました。インタビューの内容をお伝えします。

 

【木原嘉音さんプロフィール】

1995年、埼玉県に生まれる。幼少の頃から、著名な二胡奏者であった父・程農化のもとで二胡の手ほどきを受ける。その後、2014年に中国音楽学院で二胡を専攻し、宋飛や馬可といった中国で著名な二胡演奏家から直接指導を受ける。2021年には同大学の修士課程を卒業。2020年からは日本での演奏活動をスタート。“二つの国の文化を胸に、一つの楽器で心を打つ”をモットーに演奏活動を日本全国で展開。

カオン二胡研究所:https://www.kaonnikoolab.com

youtubeチャンネル:https://youtube.com/@kaonniko?si=AmZnFxrfSWvuX1rJ

 

~~二胡を始めたきっかけは?~~

 生まれてものごころがついた頃から、常に二胡がありました。小さい頃はおもちゃがわりだったと思います。父親は私を二胡奏者に育てたいと思っていたようです。大きくなるにつれて、「なぜ二胡をやらなければならないのか」と思うことも増えていきました。その怒りにも似た気持ちが演奏に伝わると、「その激しさがいいんだ」と父に言われ、喧嘩しているのか、激情を二胡にぶつけているのか、判然としないような状況に度々なりました。父親は他者を乗せるのがうまかったのかもしれません。小学生の後半には、なんとなく「二胡をやろう」という気になってきました。

 

~~開智生時代のことを教えてください~~

 新しい環境を切り拓こうと思い立ち、中学受験の勉強を始めました。開智の体験入学に参加して、その自由で開放的な雰囲気にひかれたこと、家族にも勧められたこと、などから、開智合格をめざして一生懸命勉強しました。幸い合格し、学校生活が始まりました。自分は人見知りのところがありましたが、すぐに皆と仲良くなりました。いろんな人がいるなあ、というのが開智での印象です。3年生から総合部出身の生徒が合流しますが、総合部出身者もまた皆個性的で、開智は多様性にあふれた学校だと思います。同級生とよく遊びに行きました。音楽の時間の発表や、文化祭など、二胡を演奏する機会も増えてきて、高校生になるころは、「二胡は引き続き父に教わるとして、東京芸術大学に進学して音楽全般を学ぶのもいいなあ」と漠然と感じていました。

 

~~進路選択について~~

 ところが、高2の時に、父が突然亡くなりました。何となく思い描いていた未来図が突然消滅し、茫然自失となってしまいました。その後、父から学べなくなってしまった以上、本格的に二胡を学ぶには中国に行くしかないと決意するに至りました。両親が中国出身なので、家では中国語で会話がなされていましたが、私自身は日本生まれの日本育ちで、中国語の会話はできても、読み書きはまったくできません。そこから、中国語の猛勉強が始まりました。そのおかげで、漢語水平考試(HSK)の最上級である6級を取得することができました。漢文の授業で返り点がなくても漢文が読めるようになる、というおまけもついてきました。中国では二胡の大家である宋飛先生のご指導を受けるべく、中国音楽学院を志望することにしました。ここに入学するには、まず宋飛先生の門下生になって、入学試験の課題曲をマスターする必要があります。開智を卒業した後、中国に渡り、受験準備を始めました。

 

~~中国での経験~~

 中国語での会話はそれなりにできると思っていましたが、中国に行って話をしてみると、まったく理解できないことに気づきました。中国の学生の方々の会話には、やたらと故事成語やことわざ、言い回し的なものが多く登場し、そういった知識がない自分には、まったく理解不能でした。漢詩の一節もしきりに出てきます。子どもが読む絵本的なものにも、そのような知識が盛り込まれていて、成長する中で蓄積されていくようです。知らない言葉が出てくる都度、友人にその意味を聞きまくったり、常に辞書を携帯して意味を調べたりして、何とか食らいついていきました。中国の文化に触れるにつれて、世界は広いと痛感しました。

 大学の後半から修士課程に進む中で、宋飛先生に直接ご指導いただくことも増えていきました。先生がおっしゃることは深すぎて理解が追いつかないことも多々ありました。二胡の演奏の時、どのように体を使うか、体の軸をどのように動かすか、ということが、音にどのような影響を及ぼすかについて先生は常に研究されていました。日本にいた時は、父の演奏動画を見て、片っ端から真似をしていこうとしていましたが、表面的に見える体の動かし方と、身体の内部で体をどのように動かしているのか、ということの間には大きな差があることを学びました。表面的な模倣をする段階から、次の段階に進むべき時が来ていると思いますが、具体的にはどのようにすればいいか、今も自分なりに探究を続けています。最近になって、宋飛先生のおっしゃっていたことの一部がわかってきたように思います。演奏者が気(呼吸に伴う自然な身体の動き)によって音に込める「韵」(味、多彩な音色の変化)が大事だと言う教えは、父の演奏に対する姿勢とも重なり、大きな影響を受けました。

 

~~今とこれから~~

 修士課程の最後の1年は、帰国して、オンラインで宋飛先生のご指導を受けました。帰国後はずっとコロナ禍のさなかで、演奏会も人に二胡を教えることも十分にできず、苦しい時期が続きました。昨年からようやくコロナが明けてきて、演奏会も二胡教室も始められるようになってきました。引き続き、演奏技術の向上と、二胡を日本国内に広めていくという仕事の両方に取り組んでいきたいと思っています。現状、二胡を教える上での統一された標準がないので、その構築も考えていきたいです。中国の最先端の二胡を学んだこと、それを日本語で伝えられるということを自分の強みに、今後も励みます。自分の演奏をいかに発信していくかが、大きなポイントだと思っています。

 

~~開智生へのメッセージをお願いします~~

 複雑なことは考えすぎず、シンプルに生きるのがいいと思います。これという道を見つけたら突き進んでください。でも、焦りは禁物です。

演奏の様子①
演奏の様子②
コンサートのチラシ
私も手ほどきを受けました

~~インタビューを終えて~~

 お父様の動画を何度も見て、演奏の動作を真似したとのことです。どうしてその動きになるのか、徹底的に疑問を持ち、その疑問の解決を追求していったそうですが、その際に疑問にこだわる開智の探究が役に立ったと言ってくれました。「うまく弾こう」とか「いい音を出そう」など、何かを考えながら、意識しながら演奏するのは良くない、無心になって自分の中の音楽を再生する感じで演奏するのだ、という言葉に、常に向上心を持って努力する姿勢、芸術家としての真剣さを感じました。在学中は、どちらかというとのんびりしたタイプでしたが、いろいろな経験を積んだ結果、中国の文化について、二胡について、自分の言葉でわかりやすく語ってくれるようになった木原さんの姿に、大きな成長を見ました。次こそはコンサートに行きたいと思います。ありがとうございました。